石をあたためいだいて眠る

ふと、まとまらないことを置いておくのにちょうど良いので、twitterをやっています。日本を離れてからはことに、わりとよく使っているほうだと思います。
展覧会によく繰り出して感想をのべている人や、イベントや街の様子、おすすめの本を知らせてくれる街に根付いた本屋さんのつぶやきなんかをよく読んでいます。
その人のことを知ったのも確か、新潟にあるBooks F3という本屋さんのご主人が、お店に立つときに纏うショップコートについて、「お店に立つにあたって、気持ちをしゃんとさせる相棒」とtwitterにつぶやいておられて、それを辿ったところからだったと記憶しています。

 

「その人」というのは、新潟を拠点に服を作られている方で、まっすぐに誠実に、ものづくりと、それを届ける相手に向き合っておられることが、決して言葉数の多くないつぶやきから感じられる人でした。彼女のつづる言葉に魅了されてしばらくしたころ、彼女もわたしのつぶやきを読んでくださるようになりました。ときどき、言葉を交わすこともありました。彼女の撮影する写真から、どことなく感じる北国のさみしさや温かさにシンパシーを感じていました。


その頃の季節は冬。わたしは、二度目の北欧の冬の暗さ、寒さ、さみしさ、重苦しさ、冷たさと、どう付き合ってどう折り合いをつけて過ごせばいいのか、相変わらず手に負えない状況でいつももがき苦しんでいました。そばにいない人を強く想うあまり自分の居場所を認められず、遠くにあるものになにかと心を馳せて、長く重たい冬をうまくやり過ごす手立てを見出すどころか、もがきながら自らの手で沈めるようなことをしていました。


ただ、そんな厳しさの中で見つかる美しさは深く自分に染み込んでゆくものなのだということを、確かめるように日々を過ごしていました。彼女がtwitterにあげる新潟の雪や霧の写真は、季節に抗うことなく、寒さに寄り添うように優しくたくましく過ごされている彼女の姿が映っているようでした。つぶやきを読むたびに、おなじく厳しい冬をやさしく乗りこなす姿が見て取れて、無理しなくていい、できることからやったらいいんだよ、と諭されるような気持ちになり、ずいぶん励ましていただきました。


次に日本に帰ったら必ずお会いしたいという思いがつのりました。厳しい冬のあいだ、彼女がわたしにもたらしてくれたあたたかな安堵とシンパシーは、寒さをしのぐちいさな丸くあたたかい石のほこらのようで、それが本当にありがたかったことをお伝えしたいと思っていました。


そうしているうちに月日はすぎ、春のおとずれを感じる日差しがようやく増えてきた頃、彼女が突然逝去されてしまったことを、twitterを通して知りました。
わたしは、彼女の本名を知らない。お顔も、声も、作られていたお洋服の着心地も、知らない。こんな風に彼女について言葉を綴ることも、申し訳なく思うくらい、わたしは彼女のことをなにも知らない。わたしがこんなにも、彼女のことをなんども思い返していることを、不思議に思う人がたくさんいると思います。
誰かと分かち合える気持ちではないことだけはようくわかるので、誰にいうでもなく、日をおけばどうにかやりすごせると思っていましたが、ふしぎなもので、日に日にこの気持ちが色濃くなっていくのを感じています。
ひと冬の間、冷たく重苦しい暗さから救ってくれた彼女の言葉や景色はきっとこれからも忘れないし、そうやって守ってもらったわたしのなかにある言葉や景色は、わたしに溶け込んで染み込んで、わたしになっていくと思うのです。そうあってほしいし、そうできるように、すごしていきたい。
わたしが彼女の言葉をどんなふうに受け取っていて、これからわたしになってゆくのか、それを彼女に知っていただけたらと思っていたんだけれど、もうできなくなってしまいました。残念とか、悲しいといった言葉にあてはめられない不思議な気持ちが、心のわりとまんなかのほうにこのごろは居座っているのを感じます。

 

伝えたい人が不意にいなくなってしまったとき、どうしてもっと「会いたい」って言っておかなかったんだろう、と後悔をする —— このごろは妙に大人ぶってしまって、会いたい会いたいと尻尾をふりすぎると相手に迷惑がかかってしまうと思うようになって、前ほどの瞬発力を失ってしまっているように思います。
迷惑にならないよう、圧をかけぬよう、ていねいに、「会いたい」をつたえて、そしてなるべくそれを叶えていけるようにすごそうと、改めて心に刻みました。

 

と イカラシさんのご冥福を、お祈りいたします。